yoganote blog

栃木県の足利・小山でヨガを教えています。

自分にとっての幸福は誰かにとっての暴力

世間の空気感がすっかり元に戻ったかのように錯覚してしまうのですが、6月もヨガクラスは基本的にお休みすることを決めました。ヤスシです。

▼耳のトラブル

 ここ数ヶ月、前に進んでる感覚がずっとありました。おかげでとにかくハッピーな気持ちで過ごせてるような気がしてたんです。が、順調な時ほど大きい落とし穴に気付けないもので、ここ2週間くらい耳のトラブルで悩んでました。
 具体的に言うと、ずっと自覚のあった外耳炎が悪化し、中耳炎を併発させました。そこからメンタルやられたのも影響してるのかもしれませんが、ずっと耳が塞がっている感覚、耳鳴り、軽い難聴めまいに苦しんで日常生活困難なレベルでした。
 身近な人の助けとかもあって、なんとか回復したところなので、その間に感じたことをまとめておきます。力になってくれた人に心から感謝しています。ありがとう。

▼感じたこと

 まず一番に思ったのは、耳の不調は他人から全く気付かれないんだという苦しさ。誰にも気付かれない不調って、自分だけが世界から切り離されているという感覚をとてつもない速度で加速させます。
 コンビニで買い物をした時、店員さんが何か喋ったのは分かるのに内容が全く聞き取れないってことがあったんです。少し前だったら、きっと何も感じなかった日常の何気ない一コマ。店員さんにとっても当たり前すぎる一瞬。たったそれだけのことなのに、「自分が声を聴きとれない」というだけで自分を孤立させてしまう絶望のスイッチになるという恐ろしさを知りました。

▼考えたこと

 ここんところ最近ずっとハッピーだったので、それを表現することが正しい事なのかなと勝手に思ってました。でもその幸福って、現在進行形で「孤立してる」と感じてしまう環境にいる人からしたら、凄い暴力なんですよね。
 ヨガの先生って「ちょっと良い事風な言葉を扱うのが仕事」的な側面もあると思ってるんですが、その言葉が届くのって「ちょっと良い感じの環境にいる人」だけなんじゃないかなって。世界から孤立してると感じている人からすると、それは「自分を否定する言葉」でしかないんですよね。本当はそういう人にこそ寄り添える人がありたいのに。誰かに何かを届けたいって考えた時、これって本当はめちゃくちゃ考えなきゃいけない事なんだなって実感しました。
 それは今日書いていることも同じなんですよね。傷つけてる人がいたらごめん。だけど私はあなたの味方になりたい。
 

▼聞こえたこと

 3オクターブ上くらいのA(ラ)の音。たぶん。これが四六時中鳴り響いていて気が狂いそうでした。
 難聴って音が消えるのかと勝手に思ってたんですが、自分が経験したのは「耳鳴りがうるさすぎて、当たってしまう音が聴こえなくなる」というものでした。もちろん、自分が体験したことが全てではないですが、こういう現象が実在するんですね。
 きっとこの世界は意味なんて関係なくずっと音が鳴り続けていて、私たちはその中から必要な音を選択してるだけなのかも、と思いました。10人居たら10人、100人いたら100人、聴こえている音って違うんでしょうね。知りませんでした。


サウンドフルネス(?)

 だからもし、そのことに自覚的に生きることが出来たら、めちゃくちゃ幸せであり続けることが出来るんじゃないかなって。思考が生まれ続けるのを観察するように、鳴り続ける音を観察して必要な音を選択するって表現すると少し伝わるでしょうか。その感覚を勝手に「サウンドフルネス」と名付けてみました。変なこと書いてますかね。意味はないけど、名前ある道具の方が使いやすいかなって。笑

 今、あなたに聴こえている音はなんでしょう? その音を選択しているのはきっとあなた自身です。その音が連れてきた感情があったら、それに名前を付けて観察してみてください。ほんの数秒でいいです。その音にだけ耳を傾けみてください。 


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 そんな数秒をプレゼント出来たら、自分の2週間が報われそうな気がしてます。読んでくれて、ありがとう。